愛だの恋だの呼ばないで(1)
2019年5月23日 ポエム私はずっと考えている。
この関係の呼び名を。
私は4年前に、昔から決められていた所謂「許婚」とやらと結婚した。
全然知らない相手と突然結婚した訳ではなく、私が子供の頃から知っている、父の会社のお偉いさんの息子と結婚したのだ。
私と主人の馴れ初めは、私が小学校6年生の時まで遡る。
その日、父の会社では創立周年イベントで、どの従業員も家族総出でのパーティーに参加していた。
ベンチャー企業で従業員の数もそう多くないので、どちらかというとホームパーティーの様相だったように思う。
とにかく、そのパーティーで私は父の会社の社長の息子、その時はその会社の新入社員だった人に見染められたのだ。
年齢差、実に10歳。
子供の頃の10歳はまるで親子ほどの差に感じるが、成人してからの10歳なんて、大した差ではない。
私が大学を卒業したタイミングで入籍をして、もう4年。
結婚するよりも前からお互い連絡を取り合っていたので、「こんな筈ではなかった」というような思い違いはないが、最近は油断しているのか「なんでこうなったんだろう…」というような後悔をすることがある。
今日だって、隣の幼馴染の腕で微睡みながら、この「隣のお兄ちゃん」との関係と、結婚生活についてを考えている。
「愛実ちゃん、寝ちゃダメだよ」
耳元で優しく私を起こす声がする。
「おにいちゃん…寝てないよ…それより今何時…?」
「17時半。帰らなくていいの?」
「帰らないと…でも帰りたくない…」
「けんたろさん、今日は帰ってくるんでしょ?」
「…うん…」
私は渋々起き上がり、脱ぎ散らかした服を着て、髪を整える。
口紅を塗りなおし、おにいちゃんのほうを振り返る。
「おにいちゃん…彼女は?」
「もしいたら愛実ちゃんとここにはいないよね?」
私は黙り、俯く。
本当は私が彼女になりたかった、でもそんなことは口が裂けても言えないから、せめてこのわがままだけ。
「…おにいちゃん…春兄ちゃん…出る前にぎゅってして」
春兄ちゃんは私を抱きしめて、頭を優しく撫でた。
「俺が愛実ちゃんの彼氏だったらよかったのにね…」
私はその真意を汲み取ることができず、肯定も否定もしないまま、春兄ちゃんの腕の中で息を潜めて涙を流した。
私と隣のお兄ちゃんの、この名前のない関係の始まりは、半年前…そもそもは2年前に遡る。
たまたま私の職場にお兄ちゃんが買い物に来た、それだけだった。
「お兄ちゃん?春兄ちゃん?」
懐かしさのあまり、仕事中にも関わらずつい声をかけてしまった。
春兄ちゃんは最初、私が誰か分かってなかった。
「愛実だよ。隣の家の。京ちゃんの同級生の」
京ちゃんは春兄ちゃんの4歳下の妹。私と同い年で、京ちゃんと遊ぶのにかこつけて、隣のおにいちゃんに会いに行っていたのだ。
「あぁ!愛実ちゃん!久しぶり!8年ぶり?」
「春兄ちゃん全然変わらない!」
「愛実ちゃんはすっかり綺麗なお姉さんになったね」
春兄ちゃんは私を見つめて優しく笑いかけた。
「ねえ!この後時間ある?あと15分で今日のお仕事終わりなんだ!ごはんでもどう?」
と言ったところで、このやり取りを見ていた現場の主任が
「海堂さん、今日はもう上がりでいいよ。久しぶりに会う人なんでしょう?」
と助け船を出してくれた。
「俺も会社には直帰って言ってあるから、愛実ちゃんがいいなら今からご飯でも行こう?」
こうして、私とお兄ちゃんは再び連絡を取るようになった。
私の旦那である健太郎さんが出張や夜間作業が多い人で、必然的に春兄ちゃんと夕食を共にする機会が多くなり、夕食の時にお互いの空白時間をたくさん話しすることになった。
私の大学時代の話(家から通いにくい学校に進学したから一人暮らししてた)、春兄ちゃんの仕事の話、それから、お互いの恋人の話。
私に許婚がいることは、春兄ちゃんは知っていた。
それでも大学生の時に他に彼氏を作ったことを話すと
「真面目だって思っていた愛実ちゃんがそんなことしてるなんて!」
と大笑いしていた。
ちなみにこの大学の時の彼氏の存在は、健太郎さんも知っている。
というより、健太郎さんが「自分以外の男のことも知っておいた方がいい」と言ったから付き合ってみる気になったのだ。
健太郎さんにも過去に数人彼女がいた。私が知っている限りで、私の高校時代に2人、大学時代に5人。
健太郎さんはその彼女のいずれかと結婚することだってできたのに、どうして私を選んだのかは未だにわからない。
私の父が社長なら、おそらく社長の座を狙って、と容易に想像がつくのだが、健太郎さんのお父様が社長で、私の父はただの社員。メリットがわからない。
その話をしたら、春兄ちゃんは
「愛実ちゃんは面白いから一生一緒にいても飽きないって思ったんじゃない?」と言った。
私は自分で自分のことを面白いと思ったことはないけど、春兄ちゃんが言うのだからきっとそうなのだろう。
そうやってお互いのことを話していくうちに、私の健太郎さんへの愚痴を聞いてもらうようになり、ある日私が放った衝撃的な一言でこの関係が始まることになる。
「健太郎さん以外の人とセックスしてみたい。」
春兄ちゃんは呆気にとられた顔をして、しばらく固まっていた。
その後、今まで見たことがないくらいの大爆笑をして、こう言った。
「俺が相手しようか?」
私は健太郎さん以外の人とセックスしてみたいと言った時点で自分のことをクズだと思ったけど、私が結婚しているのを知っているのにも拘わらず、その無茶な好奇心に応じようとしてくれいている春兄ちゃんは私と同じかそれ以上のクズだと思って、笑ってはいけないのに笑えてきた。
暫く二人で腹を抱えて笑った後、急に春兄ちゃんは真顔になり、言った。
「で、愛実ちゃんは本当にいいの?今なら質の悪い冗談で済むよ?」
私は深呼吸をして、こう言った。
「こんな質の悪い冗談が言える程ユーモラスな人じゃないのはよく分かってるでしょう?」
本気だよ。ずっと考えてたの。
このまま私は健太郎さん以外の人とセックスすることなく死んでいくのかなって。
私まだ26歳だよ?大学生の時の彼氏と、健太郎さん。たった2人。
他の人からしたら充分かもしれないけど、私はもっと知りたいの。
大学生の時の彼氏と、健太郎さん以外の人はどうやってセックスしてるのか。
それはそんなにいけないこと?
子供が今まで知っている手段以外にも成し遂げる手段があるって知りたくなるのと同じだと思うの。
「1回だけ、だから。お願い、お兄ちゃん。」
春兄ちゃんは暫く黙り込んで、私をまっすぐ見据えて口を開いた。
「愛実ちゃん、じゃあ、条件をつけよう。
一つ、絶対誰にも言わない。それは俺も同じ。
二つ、本気にならない。これも俺と同じ。
三つ、もしどちらかが本気になったらこの関係は終わり。誰かにバレても終わり。守れる?」
その時はとても簡単な条件だと思っていた。
「わかった。そんな簡単なことでいいの?」
「…愛実ちゃん、一つ目の条件はそうでもないけど、二つ目の条件って、思ってるより難しい人もいるんだよ?俺は多分そうでもないけど、愛実ちゃんがそうならない保証はないからね。」
「…大丈夫だよ、気持ちを押し殺すのは慣れてるから」
「それどういう…」
私は春兄ちゃんの唇を奪い、そのあとの言葉を塞いだ。
「…いいから、しよ?」
春兄ちゃんの一人暮らしの部屋で、私の手料理を食べていたけど、冷めた料理はそっちのけで、私たちはお互いの好奇心を満たす旅を始めた。
この関係の呼び名を。
私は4年前に、昔から決められていた所謂「許婚」とやらと結婚した。
全然知らない相手と突然結婚した訳ではなく、私が子供の頃から知っている、父の会社のお偉いさんの息子と結婚したのだ。
私と主人の馴れ初めは、私が小学校6年生の時まで遡る。
その日、父の会社では創立周年イベントで、どの従業員も家族総出でのパーティーに参加していた。
ベンチャー企業で従業員の数もそう多くないので、どちらかというとホームパーティーの様相だったように思う。
とにかく、そのパーティーで私は父の会社の社長の息子、その時はその会社の新入社員だった人に見染められたのだ。
年齢差、実に10歳。
子供の頃の10歳はまるで親子ほどの差に感じるが、成人してからの10歳なんて、大した差ではない。
私が大学を卒業したタイミングで入籍をして、もう4年。
結婚するよりも前からお互い連絡を取り合っていたので、「こんな筈ではなかった」というような思い違いはないが、最近は油断しているのか「なんでこうなったんだろう…」というような後悔をすることがある。
今日だって、隣の幼馴染の腕で微睡みながら、この「隣のお兄ちゃん」との関係と、結婚生活についてを考えている。
「愛実ちゃん、寝ちゃダメだよ」
耳元で優しく私を起こす声がする。
「おにいちゃん…寝てないよ…それより今何時…?」
「17時半。帰らなくていいの?」
「帰らないと…でも帰りたくない…」
「けんたろさん、今日は帰ってくるんでしょ?」
「…うん…」
私は渋々起き上がり、脱ぎ散らかした服を着て、髪を整える。
口紅を塗りなおし、おにいちゃんのほうを振り返る。
「おにいちゃん…彼女は?」
「もしいたら愛実ちゃんとここにはいないよね?」
私は黙り、俯く。
本当は私が彼女になりたかった、でもそんなことは口が裂けても言えないから、せめてこのわがままだけ。
「…おにいちゃん…春兄ちゃん…出る前にぎゅってして」
春兄ちゃんは私を抱きしめて、頭を優しく撫でた。
「俺が愛実ちゃんの彼氏だったらよかったのにね…」
私はその真意を汲み取ることができず、肯定も否定もしないまま、春兄ちゃんの腕の中で息を潜めて涙を流した。
私と隣のお兄ちゃんの、この名前のない関係の始まりは、半年前…そもそもは2年前に遡る。
たまたま私の職場にお兄ちゃんが買い物に来た、それだけだった。
「お兄ちゃん?春兄ちゃん?」
懐かしさのあまり、仕事中にも関わらずつい声をかけてしまった。
春兄ちゃんは最初、私が誰か分かってなかった。
「愛実だよ。隣の家の。京ちゃんの同級生の」
京ちゃんは春兄ちゃんの4歳下の妹。私と同い年で、京ちゃんと遊ぶのにかこつけて、隣のおにいちゃんに会いに行っていたのだ。
「あぁ!愛実ちゃん!久しぶり!8年ぶり?」
「春兄ちゃん全然変わらない!」
「愛実ちゃんはすっかり綺麗なお姉さんになったね」
春兄ちゃんは私を見つめて優しく笑いかけた。
「ねえ!この後時間ある?あと15分で今日のお仕事終わりなんだ!ごはんでもどう?」
と言ったところで、このやり取りを見ていた現場の主任が
「海堂さん、今日はもう上がりでいいよ。久しぶりに会う人なんでしょう?」
と助け船を出してくれた。
「俺も会社には直帰って言ってあるから、愛実ちゃんがいいなら今からご飯でも行こう?」
こうして、私とお兄ちゃんは再び連絡を取るようになった。
私の旦那である健太郎さんが出張や夜間作業が多い人で、必然的に春兄ちゃんと夕食を共にする機会が多くなり、夕食の時にお互いの空白時間をたくさん話しすることになった。
私の大学時代の話(家から通いにくい学校に進学したから一人暮らししてた)、春兄ちゃんの仕事の話、それから、お互いの恋人の話。
私に許婚がいることは、春兄ちゃんは知っていた。
それでも大学生の時に他に彼氏を作ったことを話すと
「真面目だって思っていた愛実ちゃんがそんなことしてるなんて!」
と大笑いしていた。
ちなみにこの大学の時の彼氏の存在は、健太郎さんも知っている。
というより、健太郎さんが「自分以外の男のことも知っておいた方がいい」と言ったから付き合ってみる気になったのだ。
健太郎さんにも過去に数人彼女がいた。私が知っている限りで、私の高校時代に2人、大学時代に5人。
健太郎さんはその彼女のいずれかと結婚することだってできたのに、どうして私を選んだのかは未だにわからない。
私の父が社長なら、おそらく社長の座を狙って、と容易に想像がつくのだが、健太郎さんのお父様が社長で、私の父はただの社員。メリットがわからない。
その話をしたら、春兄ちゃんは
「愛実ちゃんは面白いから一生一緒にいても飽きないって思ったんじゃない?」と言った。
私は自分で自分のことを面白いと思ったことはないけど、春兄ちゃんが言うのだからきっとそうなのだろう。
そうやってお互いのことを話していくうちに、私の健太郎さんへの愚痴を聞いてもらうようになり、ある日私が放った衝撃的な一言でこの関係が始まることになる。
「健太郎さん以外の人とセックスしてみたい。」
春兄ちゃんは呆気にとられた顔をして、しばらく固まっていた。
その後、今まで見たことがないくらいの大爆笑をして、こう言った。
「俺が相手しようか?」
私は健太郎さん以外の人とセックスしてみたいと言った時点で自分のことをクズだと思ったけど、私が結婚しているのを知っているのにも拘わらず、その無茶な好奇心に応じようとしてくれいている春兄ちゃんは私と同じかそれ以上のクズだと思って、笑ってはいけないのに笑えてきた。
暫く二人で腹を抱えて笑った後、急に春兄ちゃんは真顔になり、言った。
「で、愛実ちゃんは本当にいいの?今なら質の悪い冗談で済むよ?」
私は深呼吸をして、こう言った。
「こんな質の悪い冗談が言える程ユーモラスな人じゃないのはよく分かってるでしょう?」
本気だよ。ずっと考えてたの。
このまま私は健太郎さん以外の人とセックスすることなく死んでいくのかなって。
私まだ26歳だよ?大学生の時の彼氏と、健太郎さん。たった2人。
他の人からしたら充分かもしれないけど、私はもっと知りたいの。
大学生の時の彼氏と、健太郎さん以外の人はどうやってセックスしてるのか。
それはそんなにいけないこと?
子供が今まで知っている手段以外にも成し遂げる手段があるって知りたくなるのと同じだと思うの。
「1回だけ、だから。お願い、お兄ちゃん。」
春兄ちゃんは暫く黙り込んで、私をまっすぐ見据えて口を開いた。
「愛実ちゃん、じゃあ、条件をつけよう。
一つ、絶対誰にも言わない。それは俺も同じ。
二つ、本気にならない。これも俺と同じ。
三つ、もしどちらかが本気になったらこの関係は終わり。誰かにバレても終わり。守れる?」
その時はとても簡単な条件だと思っていた。
「わかった。そんな簡単なことでいいの?」
「…愛実ちゃん、一つ目の条件はそうでもないけど、二つ目の条件って、思ってるより難しい人もいるんだよ?俺は多分そうでもないけど、愛実ちゃんがそうならない保証はないからね。」
「…大丈夫だよ、気持ちを押し殺すのは慣れてるから」
「それどういう…」
私は春兄ちゃんの唇を奪い、そのあとの言葉を塞いだ。
「…いいから、しよ?」
春兄ちゃんの一人暮らしの部屋で、私の手料理を食べていたけど、冷めた料理はそっちのけで、私たちはお互いの好奇心を満たす旅を始めた。
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